「世界の終り」でつらつら考えた事

FBで「あなたにとって世界の終りとはどんな風景か?」という
命題が出てたんでつらつらと考えてみました。
まず思ったのがこの“世界”って“私の”世界なのか“世界”の世界なのかって事。
“世界”の世界なら数億年先だかに太陽が老衰して現在のような恩恵を地球に与えられなくなれば
今ある地球上の“世界”は終わるんでしょうねぇ。




で、“私の”世界の終りとは?と考えると即物的に言うと「死」でしょうね。
でもきっともっと観念的な答えを求められているのだとすればどんな風景なのかなぁ?

「晴れた日暖かい陽射しの中で広い公園を木漏れ日の下のベンチから見ている風景」

これかなぁ?
無邪気にはしゃぐ子供達の喧騒や芝生に座って仲睦まじく語らう恋人達や
ジョギングする若者や遠くのベンチに腰かけて編み物する老人やそういう風景。
子供の頃にそういう風景を見て何かしら不思議な、ともすると不安ともとれるような
不安定で脆い事象を見ている感覚になりました。
大人になって漠然とした不安というのはなくなったものの
その感覚は今でも時々湧いてくることがあります。

これとは逆に晴れた日の高原の森とか海辺に座っていると
とても落ち着いた気分になり悠久の時のようなものを感じます。
それは安定していて一見儚いようでいてでも普遍的な安心感を得られます。

両者の違いをもっと個人の感覚というか妄想というかで例えると
前者での私はそこで消えたらプツンとTVの画面を消したように消えます。
合成映像で私だけを取り除いたって感じでそれ以前もそれ以降も世界は何も変わらない。
消える私が砂のようにサァーッと形を崩して落ちるんだけど決してまじわらず
アスファルトや石畳の上をどこまでも転がっていく感じです。
後者の私は同じように砂となって形を崩したとしても後その砂は地面に落ちて
森の一部になったり砂浜になったり波に乗って海に出たりします。
溶け込むって感じです。

まぁどっちにしても私が終わるわけだから意識も肉体も何もなくなるし
後の事はどうでも構わないのだろうけど…。
「世界の終り」を不安なものとして捉えるなら前者、迎えたい場所として捉えるなら
後者という感じですかね。

三仙が巣立つまであと数年。
そこまでは死んでも生き抜く所存ではありますがそれが済めばあとはおまけ。
そろそろそんな事も考える時期になってきましたw

comment

Secret

プロフィール

どぅいちゃん

Author:どぅいちゃん
『射雕英雄伝』を見て武侠の世界に嵌りました。
パパこと東邪・黄薬師に心を奪われ、それ以来武侠の「イカレオジ専」担当です。
リアルな武侠仲間がいないのを憂いて、ゲリラ的に武侠布教活動を行っております。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
カテゴリー
リンク
FC2カウンター
カレンダー
05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -
ブログ内検索
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

天気予報

-天気予報コム- -FC2-
月別アーカイブ
QRコード
QRコード
RSS登録用
FC2ブックマークに追加する
FC2ブックマークに追加
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

にほんブログ村
ペタッ♪